オステオパシーとは、オステオ(Osteo)「骨」と、パシー(Pathy)「病理、治療」の組合せ語で、いわゆる「骨格の治療」という意味である。
オステオパシー医学はアメリカのアンドリュー・テーラー・スティル(Andrew Taylor Still) という医学博士(1828〜1917)によって1874年に創始された手技療法を含んだ総合医療体系である。
【注2】
メスメリズム(MESMERISM) は、フレドリック・アントン・メスマー(Friedric Anton Mesmer) というオーストリアの医師(1733〜1815)によって開始された動物磁気催眠術である。これは催眠術によってヒーリング(癒し)を行うというが、現代で行われている気功療法の一種であると思われる。
○オステオパシーの認定と発展期(全盛期)
オステオパシーを発展させるためには、まず社会的に認識させる必要があった。オステオパシーの創立期において、社会的に、またアメリカの医学および療法師の伝統的なランク付けのなかで、接骨師(Boneーsetter) の地位はもともと低かった。当時、オステオパシーは現代日本の接骨院のように単なる骨折等の手当てを行うものだと一般に思われていた。スティルは骨接ぎ屋とオステオパシーの哲理と思想および技術の違いをアピールした。
スティルは当初、オステオパシーと骨接ぎの違いを、骨格矯正法の技術を磁気的な手当て法の論理的な拡張と認識の違いによって発表した。当時、自らをマグネッティクドクター(Magnetic doctor=磁気療法師)としての整骨師であると社会に売り込んだという。
あるアイルランド人の女性は肩甲骨周辺の上部胸椎の痛みを訴え、スティルが上部胸椎の矯正を行い、たちまち痛みが解消し、さらに、彼女の持病の喘息を上部胸椎および肋骨の調整によって完治したという。また、当時、正規の医学では治療の見込みがないとされていた、あるアメリカ上院議員の息子の心臓病も治療したという。このように、スティルは心臓病、頭痛、腰痛、背中の痛み、リューマチや伝染病などを治療できると、オステオパシーの医学的な効能発表した。オステオパシーの効能と噂が広がり、単なる骨接ぎ的な施術とは違うと、徐々に社会的に認識されたのである。
スティルは1892年までに、オステオパシーの哲理と技法を完成させ、カークスビルにアメリカンスクールオブオステオパシー(米国オステオパシー学校=American School of Osteopathy)を開校した。当時、僅か7か月の講習会のカリキュラムでオステオパシーの技法と哲理を一般に教授した。
しかし、オステオパシーを基礎付けさせ、しかも認定させるためには、充分な医学的かつ科学的に根拠を確立しなければならない。オステオパシーを医学的に立証し、またオステオパシーの発展に一役をかったのは、スコットランドの医師・ウィリアム・スミス(Dr.William Smith)だった。スミスは旅行中に、オステオパシーの噂を聞き、オステオパシーの本部があったカークスビルに立ち寄り、スティルに会ったという。スミスはオステオパシーにかなりの効能があると確信し、スティルの推薦で新設の米国オステオパシー学校の教師となった。スミスの提案で米国オステオパシー学校の教授会の人事およびカリキュラムの編成が行われ、事実上オステオパシーの医学的な理論の発展に大いに尽くしたのである。
スティルは、最後までオステオパシーの現代医学化、即ちオステオパシーと薬品や手術との絡み合いに反対したと伝えられるが、オステオパシーの現代医学的な方向への傾きを止めることはなかった。やがて、スミスの指導の基でカークスビルのオステオパシー学校では現代医学的な解剖生理学などの教授法は進められ、オステオパシーの免許制度の法案は認可されたのである。やがてオステオパシーの認定化が全米に法案されるに従い、徐々に現代医学への道を歩むこととなり、創立期に開発されていた多くの古典的な技法の衰退が避けられない状況になってしまうのである。
19世紀の終わりと20世紀初期において、オステオパシーではあらゆる病気に対して、脊椎と骨格の関連性が研究され臨床的に立証された。それは言うまでもなく、スティルとスティルの直弟子たちの業績の結果に他ならない。特に、1950年まではオステオパシー全盛期において、脊椎と疾患の関連性についてさまざまな実験および臨床研究が行われ、そのデータが発表された。1950年代までオステオパシー関連の数多くの技術教科書は出版され、カイロプラクティックのテクニック開発にも多大な影響を与えた。
○オステオパシーの古典的な技法と思想の衰退期
オステオパシーの古典的な思想を創始したスティルは、サムエル・トンプソン流の神学(The theological vehemence of a Samuel thompson)の情熱を受け入れ、現代化学的な薬品の使用を非難した。スティルと彼の弟子たちが、オステオパシー的な病気の原因は、骨格(椎骨)の変位(障害=LESION)にあるということを解き、関節の変位によって生命の目に見えない「電気的な力=エネルギー」が低下して病気になるという思想と理念を崩さなかった。
現代医学は病気の原因は「細菌」にあるとことになっている。古今、オステオパシーにおいても「細菌」は病気の原因であるということは否定されていない。しかし、古典的なオステオパシーにおいて、オステオパシー的な骨格(椎骨)の変位は、身体エネルギーおよび体質や抵抗力の低下を招き、細菌感染を引き起こす原因であると強調している。このように、古典的なオステオパシーの関心は予防医学としての立場を強調しているという局面も理解できる。
初期(創立時より1920年代まで)のオステオパシー療法の原理は骨格の調整におかれていたということは言うまでもない。しかし、時代の変換に伴い、西洋医学的なの教育のもとで、オステオパシーには大きな変革をもたらすことになった。オステオパシーの医師の業務が段々と一般医師と同様に、手術や薬の投与などが主体となり、手技テクニックに対するこだわりが薄らいできた。現在、皮肉にも本場アメリカにおいては、膨大な治療効果を誇っていたオステオパシー全盛期の矯正技術が失われつつあるものの、さまざまな新しい矯正技術がマニュアル・メディスン等の名称で確立されている。無論、創始者・スティルのオステオパシーの初期の矯正技術や哲理を厳守しながら、器具の使用や薬の投与および手術を一切否定しながら、初期のオステパシーの治療精神で、さまざまな病気の治療に当たっている専門家もわずかながらいるようである。
1950年代に、米国医学会(AMA)と米国オステオパシー医学会(AOA)との意味深い友好関係が結ばれ、共同研究や病院経営や専門医の交換教育などについて協力し合っいる。オステパシーは時代とともに、米国の全州で徐々に認可されることに従い、創始者と直弟子たちの信念に支えられていた手技テクニックと思想が薄らいで、その技術体系も変化して、20世紀の医学と薬理学的治療体系の仲間入りになってしまいました。
○ニュー・オステオパシー期
NEW OSTEOPATHY(ニュー・オステオパシー)と古典オステオパシーの違いは、その技法と思想の違いにある。書物等で神話として語られているオステオパシーの治療効能は、古典的な技法の結果で発揮されていたということを決して忘れてはならない。
オステオパシーの古典的技法の衰退と新技術の開発の背景には、2つの大きな理由があると考えられる。
一つの理由は、先述したオステオパシーの一般医学化と、利益優先の社会背景である。
創始者であるスティルは、手技テクニックの有効性を解明し、独特な哲理と信念に基づいて数多くの奇蹟的な治療効果を実現させた。当時、スティルはわずか七ヶ月から二ヶ年の技術教育カリキュラムで多くの優秀な専門家を育てた。スティルの教育の結果、数人の直弟子たちがスティルやオステオパシーの教義を厳守し、古典的な技法と哲理およびその有効性を臨床的に後世に伝えた。しかし、現在本場アメリカにおいても、オステオパシーの教育は新医療規制や現代医学的な枠組みの中で行われ、スティルの教育方針とは遠く離れている。古典的なオステオパシーの技法は、オステオパシーの古典的な用語や思想の理解のもとで研究しなければならない。オステオパシーの古典的な用語は、現代医学的な用語に改善され、現代医学の見解のもとで教育が行われている。アメリカでは、オステオパシーの専門医師をD.O(Doctor of Osteopathy) といい、D.Oになるには、高校を卒業後、先ず一般大学で4年間の教養過程を終了し、そしてオステオパシーの専門大学で6〜7年間の教育を受ける。しかし、その教育の大半は手技テクニックよりも一般医科大学と同等な教育である。
大量生産の儲け主義である現代社会では、薬の投与や外科手術の方が手技医療よりも有益であるため、現在多くのオステオパシー医たちも、現代医学的な治療方針を優先としている。
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